文化財復原

柳川御花

柳川御花

1697年、筑後十三万国の城主であった立花家四代立花鑑虎が、四方に堀を廻らせた総面積約7,000坪のこの地に「集景亭」と名づけた別邸を構え、遊息の地としました。明治維新以降は華族となり繁栄した立花家が、現在、自邸を改装して経営している柳川を代表する観光名所となりました。当時この地域が、「花畠」という地名であったことから、柳川の人々から「御花」と呼ばれ今日にいたっています。現在は、本館、西洋館、史料館などがあり、中でも本館の庭園『松濤園』は、現宮城県にある松島に見立てたとされ、昭和53年に国の名勝に指定されています。

こんなところに関わりました。

こんなところに関わりました。

2005年3月におきた福岡県西方沖地震をきっかけに、御花本館と西洋館の修復をすることとなり、当社が施工を受注。約18社の専門会社の協力のもと1年がかりで工事を行ない、2007年春に完成しました。

立花伯爵家住宅

明治42年から43年に、14代の寛治(ともはる)の時代に新築された建物です。地震の際に影響を受けたところの修復はもちろん、当時の写真や史実に沿って可能な限り100年前の姿に蘇らせることに努めました。文化財の修復だったため、解体調査だけで半年がかかりました。復元するためにどのような材料で、どのような工法で行なえばいいのかなど、考古学的な知識も必要で、100年の間に増築された箇所等は、痕跡を探して100年前の姿を推測しながら修復をしました。

西洋館

明治43年に立花家の迎賓館として建てられました。鹿鳴館様式の流れを汲む伝統のある建物です。こちらも、100年前の姿に復元することを考慮し、煙突などレンガ一枚一枚を一度外して補強し元に戻すといった根気のいる工事となりました。